2013/11/07

再審査請求棄却なのに額改定はできちゃった話。

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Facebookページにも書きましたが、その続き。

障害年金における額改定請求の話です。
経緯など詳細はそちらをご覧ください。
障害ねんきんナビFBページ

診断書は2級相当だが「うつ病」だけで2級と判断できない、として3級にし、
それが「妥当」という審査官と社会保険審査会。
その一方で水面下でしていた額改定請求(内容は請求時とほぼ同じ)は
さらりと2級にしてしまう年金機構。

ボクは確かに額改定請求をしたけれど、棄却の覚悟をしていた。
いや、棄却されるべきなのだと思っていた。

もちろんご請求者、またその代理人としては改定して欲しかった。
そんなことは言うまでもない。

でも陰ながら携わる障害年金制度の一貫性としては、棄却されるべきだった。
再審査請求をあの理由で棄却しておいて、
額改定で2級にするのはどう考えたっておかしい。

ボクらは障害年金という「ルール」の中で業務をしている。
そのルールに一貫性がなかったら、今後何を基準に請求したらいい?
そういう意味で非常に残念だった。

結局、今の年金にルールなんて求めるのが無駄なのかもしれない。
審査官が言えば「総合的に勘案すると」、
社会保険審査会が言えば「ただちに不当であるとは言えない」。

大変便利な言葉だ。これから査定で使おう。
しかしご依頼者にこれでは面目ない。

今の社会保険審査会は過去の裁決例なんてどうでもいいらしい。
いきなり独自のルールを創り出して、押し付ける。
押し付けられる国民はたまったもんじゃない。不公平もいいところだ。
本来はその不公平を是正する場であるはずなのに。

この状況まで来て訴訟をしろ、というのは請求者には酷だ。
結局、額改定しておいてよかったね、という話になる。

額改定の目的は達したものの・・・言葉にならない。

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カテゴリー: 障害年金。

2013/11/06

あさって発表でしたか。

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転職先となった小売店では、いろんなことがありました。
超過勤務、薄給、給与遅配、ちょっと考えられない環境でしたが、
そういったところもあって今の職があるのかもしれません。

結局、その転職先は半年で退職し、無職となります。
ここで雇用保険を受給して社労士試験の勉強をしました。

当時のボクは何やっても中途半端で、
必死で一定期間がんばれたことがない、
というのがコンプレックスでした。

がんばることなく飄々と生きてきて、それだけだったんですね。
例えば部活、大学受験、就活、どれもそこまで頑張った、と言えず、
なんとなくやってきた感があったんです。

それで社労士試験を受けてみようと思ったんですね。
落ちても悔いない、と言えるくらいやってみよう、と。
そして今があるんですが、今気付いたら、
今年の社労士試験の発表はあさってみたいです。

選択式ではまた波乱があるのでしょうか・・・。
これを読んで頂いた方の幸運を祈ります。

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カテゴリー: そこはかとない話

やる感じ、やらない感じを振り返る。

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ある方のHPを拝見していて、
「あー、HWCも、障害年金も、
やっていて本当によかったな」と思いました。

ボクは埼玉県ではなかなかの進学校に行ってて、
その中ではズバ抜けて落ちこぼれ、という、
やるのかやらないのかわからない存在でした。

たぶんやらない感じです。
あ、体育委員の副委員長をやってました。
ちなみに白木も一緒です(笑)

高1の時は留年寸前で、夏休みに数学の補講を受けてました。
その時に一緒に補講を受けた友達は、退学したとか、
実際に留年したとかそんなメンツでした。

そんな中、なんとかセンターで引っ掛かった大学にいきます。
ここでは三年にもなって必修の体育をやってましたね(笑)
やはりここでもやらない感じでした。

その頃は音楽をやっていて、そっちはまあまあでしたが、
結局メジャーには行けるはずもなく、就職することになります。

就職では、新卒でそれなりに大きな、
ただしやや訳ありな業界の設備メーカーに就職しました。
ここは大企業でしたし、待遇も良くて、
ここに就職できたのはかなりやる感じでした(笑)

ボクは2003年卒で、当時はめちゃくちゃ就職氷河期で、
高校の時の連中はみんな素晴らしい大学に行ってるんですが
かなり苦戦を強いられたみたいです。

国家一種で霞ケ関行ってる奴もいますけどね。
正直そういう例外を除いてはあまり変わらなかったのかな、と。

そういう話を聞くと、大学三年にもなって、
一年生たちと体育をやっていたボクとしては、
二社しか受けずに二社決めた就活はかなり頑張ったな、と(笑)

そこでは本社の営業企画や法人営業をしていました。
自衛隊に体験入隊させられました。
あれは強要罪ではないかと思います(笑)

ただ、ボクの社会人としての基礎はここで築かれ、
非常に多くの、いろんな考え方を学びました。
今もすごーくためになってます。

しかし、その会社を五年後、アイツ1号が生まれて
わずか二ヶ月で辞め、その月に育ててくれた祖母を亡くし、
そんな中で従業員7名の着物屋に転職します。

ボク、超ばあちゃん子だったんですよ。
この一、二年が、思えば人生の谷だったんですが、
なんかもういろいろとめちゃくちゃでしたね。
平常心を欠いていろいろ決断したのだと今になって思います。

ただ、祖母の死に目に立ち会えたのは、その一社目の会社を辞めて、
二社目への転職時期を遅らせて、待ってもらっていたからです。
それだけは良かったな、と。

しかし一社目のときは借り上げ社宅だったので、
退職に伴ってその家を出ることになりました。
住む家がないので実家に帰ることになりました。
奥サマはもちろん、両親にも心配かけたと思います。

もう、なんというか、この辺りのクダリも
本当にめちゃくちゃですね(笑)

その後、二社目となった小売店でもいろいろあるんですが、
この続きはまた明日にでも。

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