↓みなさんはどうでしょうか。
最近、「あなたは弱者のために仕事をしていない」と言われました。
ボクはショックでした。
弱者のために仕事をしている、と思ったことがなかったからです。
せっかくですから「弱者のために仕事をする」とは何か、
少し考えてみることにしました。
障害年金を始めたきっかけ。
まず、ボクは障害年金の仕事を始めたのは、
「弱者のために始めた」のではありません。
それは過去に開業セミナー、勉強会の中でもお話しています。
ボクが障害年金を始めたのは、事業として有望だと思ったからです。
これはどう言いつくろうとも思いません。それがすべてです。
そして土日開業しかできなかったボクは、
Webからの集客という結論に至りました。それにもマッチしたからです。
基本的にはその延長線上に今があります。
この観点からすると、弱者のために事業を行っている、
ということにはなりません。
弱者のために仕事をする、ための条件
「弱者のために仕事をしている」と感じるためには
依頼者のことを「弱者」であると認識している必要があります。
でもボクは「ご依頼者=弱者」だとは感じないんです。
たとえば、「話しているうちにこの人のために受給権を獲ろう!」とか、
「こんな処分、国が許せない!」と思うことは多々あります。
つまり、個々に落とし込まれればそういう感情が出ます。人間ですので。
ただ問い合わせをいただいてやり取りしている中で、
そのお相手が弱者だとかは全然思っていないです。
傷病の特性については考慮をしますが、
でも基本的にそういう思いはないですね・・・。
対等、というか普通に対応しています。
弱者とか弱者じゃないとか考えもしないですし、
そんなこと考えるとなると、おこがましいです。
ですから「弱者」として扱って欲しい方からは
非常にフラットに、落差があるように思われるのかもしれません。
そういえば、唯一の例外があった。
そういえば、一つだけ例外があります。
それは「知的・発達障害者の就労による支給停止の問題」です。
これだけは唯一、話が別です。
この問題は、障害者就労にかかわる問題です。
今は、当事者やご家族が本当に大変な努力をして、
そしてようやく就労の場を見つけ、わずかな収入を得ています。
現在の知的障害者の障害者就労とはそういうものです。
その収入だって、労働の対価として支払われているとは限りません。
企業には障害者雇用の義務がありますから、
仕事を作ってでも行っている会社があります。
その仕事内容が明らかに賃金と見合っていなくても、です。
これは企業が努力しているから、その分多く支払われているわけです。
国はこうした方々に対して障害基礎年金を支給停止し、
こうした関わる全ての人の努力を台無しにしています。
障害者就労している事実だけを切り出して見て、
「総合的に勘案すると認定基準に該当しない」というのです。
認定基準に該当しない、とは障害の程度が軽くなったという意味です。
そんな馬鹿な話ありますか。これは絶対許せません。
ボクはこの件については、ボクも一緒に弁護士費用を出すので、
訴訟まで持ち込みましょう、と複数の当事者の方にお話して、
実際に準備を進めている段階にあります。
ボクが弱者のために仕事をしている、と感じるとしたら
唯一、これだけかなあ、という気がします。
でもこれは後で述べる「ビジネス」の要件から外れるので、
若干矛盾がありますし、これによって会社に打撃を与えることは、
社員たちに対して申し訳なく思っている部分です。
ビジネスの力を信じてる。
もう一つ、ボクの中でも大きな考え方として、
「ビジネス」の持つ力を信じていることがあります。
「ビジネス」というと殺伐としていて、金が全てで、
売上を上げるのが最優先、という感じがしますが、
もちろんそういう側面もあります。
たとえば上場企業は業績を開示しなくてはなりませんし、
業績が悪ければ経営陣は責任を取らなくてはなりません。
民間の事業者は、売上に自身の維持を依存し、
業績で評価をされているからです。
ただ、社労士事務所が都銀や地銀に、
プロパーで融資してくれ、とか言うと笑われます。
(いや、もちろんそんなこと言いませんが)
笑われなくても信用保証協会のパンフレットを
スッと差し出されることでしょう。
所詮、ボクらが市場で受けている評価とはそういうもんです。
なので社員5人で大事務所、とか言うのを聞いてしまうと、
ちょっと笑ってしまうんです。
ボクはずっと民間の世界で社会人生活をしてきました。
特に社会人となってすぐの数年間は、
営業や営業企画、上場企業の本社で幹部が考えること、
行うことというのを目の当たりにしてきました。
それがボクのバックボーンになっています。
その上での奉仕の難しさ。
ボクはボランティアや慈善活動に懐疑的です。
これは「慈善活動を行うことに懐疑的」という意味ではなくて、
受ける側が奉仕に期待を寄せて、
委ねてしまいかねない点が難しい、と思います。
本来、自身が最大限の努力をして、そこにそういった力が働いて、
物事が良くなっていく、ということはもちろん大いにあると思います。
要はバランスの問題、ということです。
もう一つ挙げると、行う側の問題もあります。
ボランティアは奉仕ですから、
極端な話、奉仕する側に決断が委ねられるわけです。
「今日は大雨だから行きたくないな」
「明日のこの試合は生で見たいな」
「その日は出かける予定があるんだよな」
当然、人間ですからこういう事もあるわけです。
でもこれは奉仕ですからなんの問題もありません。
なんらかの義務が発生しているわけではありませんから。
発生しているとすれば奉仕を受ける側の勝手な期待です。
ただ、来るはずの人が来なかったら現実問題、困ります。
そこに齟齬が生じないために「組織化」したりして
NPOや別の事業体が出てきてルール化します。
ボランティアもルールの中で行うんだよ、と。
そうすると結局、奉仕にも義務が生じます。
でもこうなるとビジネスとあんまり変わらないと思うんです。
義務がないと、奉仕とは持続化できない可能性の中にあるわけです。
ボクは大雨でも子連れのスタッフに
年金事務所へ行ってくれ、と言います。
生でサッカーの試合を見たくても、出かける予定が入っていても、
面談が入ればそれを優先するわけです。
なぜなら単純に仕事だから。
ウチの親父は福島で原発の作業に従事していますが、
「偉い仕事ですね」「大変な仕事ですね」ってみんな言います。
障害年金よりわかりやすいですし、現に今の日本があるのは、
原発で作業している作業員がいるからです。ボクもそう思います。
でも別にウチの親父は奉仕で行ってるわけじゃないんです。
なぜ行くのか、と聞けば「仕事だから」と言うに決まってます。
仕事って、ビジネスって、尊い部分もあるんです。
人間だからなかなかできない弱さを、
補完する部分があると思うんです。
だからボクは障害年金業務を仕事にしていることに
何の違和感もありませんし、心から誇りを持っています。
おわりに。
また、ここでは端折りますが、障害年金が好きという気持ちは、
おそらく第一線で障害年金をやっている社労士全員が持っています。
ボクももちろん持っています。
障害年金は本当に深くて、マニアックでおもしろいんです。
社会保険の知識だけでなくて、病気の知識、薬の知識、
医療機関の良し悪しや傾向まで時には必要とします。
そんな業務、他にないじゃないですか笑
それに雇用保険、労災、健康保険、年金、就労と、
全て見られるのは、フリーの社会保険労務士以外に存在しません。
どの役所だって、病院だって無理ですよ。
そんな業務、やりがいめちゃくちゃあるじゃないですか。
手続きだけしてるわけじゃないんです。
やっているうちに障害年金やそうした周辺の分野に
魅了されていった部分はあります。
今でも再審査請求までいって処分取消が出れば、
事務所中でハイタッチ!です。
そんな風に仕事したことがなかったので、
それもまたうれしいですよね。
これらから考えると、基本的にやはりボクは弱者のために、
奉仕の心を持って仕事をしているのではない、と思います。
でも受給権が得られるためにボクは必死に努力しますし、
通ったらその一つひとつが本当に嬉しいです。
それでご依頼者の方に喜んでいただけるならば、
こんなに良い仕事はないと思います。